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少年時代に培われた、絵描きとしてのベース - 札場哲の絵描き回顧録 第1回 –

60歳になる今も、ズ~っと絵やデザインの仕事に携わっているSatoshiFudabaです。
イラストや背景、ロゴやチラシ、ポスターのデザインから版下、そしてゲームグラフィックやUIと絵に関する事なら全てやってきた僕の経験をつらつらと書いていきます。
本人的には「水彩画の絵描き」だと今でも言っているんだけどね!
全12回の連載を予定しているので、興味がある人もない人もお付き合いください!

小1から歩むと決めた絵描きとしての道

始まりは、まだまだコンピューターという物が世に無い時代。
小学校1年生のころから、鉛筆、色鉛筆、クレパス、絵の具で絵を描きまくっていました。
時間さえあれば、鉛筆でチラシの裏に描いていたんじゃないかな。
もちろん友だちと外で遊んだりもしていたけれど、家に帰ったらマンガや雑誌から色んな物を書き写していました。
変わったところでは、切手の写楽やビードロを模写するのも楽しかったなぁ。

そんなある日、駅の風景を描く学校の授業があったんです。
夢中で描いていて、気がつくと周りが薄暗く…。
先生やみんなも誰もいない!
ちょっとした騒ぎになって、あとで先生からメチャ怒られたことを覚えています。

でも、このときに描いた絵が全国小学生絵画コンクールで最優秀賞を取ってビックリ!
この出来事がきっかけで、「絵を職業にしたい」という気持ちが芽生えたんだ。

頭と体の両方で覚えるから自分のものになる

このころ、毎日描いていてどうしても満足できない箇所が…。
手や足の指のデッサンと、右向きと左向きの構図を同じレベルで描くということができない!
絵を描く人なら、誰もが最初にぶつかる問題じゃないですかね。
「どうしたらうまく描けるんだろう」と、色々と悩んでは試しての繰り返し。
図書館で専門書を見たりもしたけど、なかなか描けなくて。

そんなとき、手に取ったのがある1冊の本。
生き物の骨格を図解した本で、関節の位置や数まで、わかりやすく絵になっていたのです。

まずは構造を知るということは大切だね!
関節の位置を把握することで、少しずつ絵が良くなっていったんです。
それでも、まだまだ満足はできなかった。

だから次にやったことは、写真にトレーシングペーパーを重ね、体に覚えさせということ。
何度も何度も、ひたすらトレースし続けましたね。

頭と体の両方で覚えさせる。
これでやっと満足できる絵の状態にレベルアップしました!
よくトレースしないで描きなさいと言う人もいますが、僕は決してそうは思いませんでした。

日本にはない感覚を求めて新天地へ

時は流れて、僕も中学生になったんだけど、相変わらず絵を描きまくる毎日。
でも部活でバスケを始めたり、友だちと遊んだり、毎日が楽しかったなぁ。

このころ、親がファンシー文具関係の仕事していたこともあって、販促ポスターや包装紙など、初めて“仕事”として絵を描かせてもらったんだ。
早い時期から商業として絵を描けた、この経験は大きかったんじゃないかな。

自分がいいと思っただけじゃダメで、お客さんが喜んでくれて初めて絵を仕事にできるんだ。
お金をもらうっていうことは、お客さんの満足で成り立っているんだよね。

中学を卒業して高校生活が始まったんだけど、入学したのは残念ながら美術に力を入れていない学校。
このまま学生生活を送っても絵やデザインを職業にするなど到底できないし、もっと創造力と描く力をつける必要があるんじゃないか。
そんな葛藤が、日々あったんだ。

どうしたら望む道に近づけるのか、色々調べまくりました。
すると、日本の伝統色にない色使い、見た事のないデザインや絵のタッチがアメリカにはあるじゃないか!

当時、ハワイにはヒッピーといわれた絵描きやデザイナーが集まる場所があったんだ。
レコードジャケットや広告などのデザインは、日本人には無い抜群の色彩とデザインセンスから成り立っていて、そりゃもう鳥肌がたつぐらいで。
この人たちの持つ、デザインセンスや色彩センスを自分に取り込めたら…。

こうと思ったらすぐ行動!

高校1年の途中で退学して、ハワイの高校へ行く手続きをしました。
バイトをしながら、新しい感覚を身につける勉強が始まったんです。
英語は全く分からない、しゃべれない、でもやろうという意思があればそんなことはどうにでもなる!

とにかくもっと知識の引き出しを増やして、想像力と描く力をレベルアップしたいとワクワクしながら旅立ちました。

★今回はココまで、次回海外編をお楽しみに! bye bye!